猿の惑星 創世記


『猿の惑星 創世記』を見ました。屁の期待もせずに見たのですが、これは面白いではないですか。
ストーリー的には『猿の惑星・征服』に近いですが、これまでの『猿の惑星』サーガとは何の関係もなく、シーザーはアルツ治療薬を投与されたママ猿から生まれたので賢いという設定です。最後に「今夜ここに猿の惑星が誕生する!」宣言がないというだけで、オリジナルのファンは拒絶反応を示すかも知れません。そもそも『猿の惑星』のタイトルを冠さなくても良かった気もします。
『〜創世記』を魅力的たらしめているのは、シーザーの前向きな姿勢です。当初は人間にいじめられたりして、それで反逆に向かっていくという描写もありますが、基本的に自分の意志で打倒・人類へと向かっていきます。アナキン・スカイウォーカーやジョン・ランボーみたいに「追い込まれて仕方なく暴れた」感は皆無です。最近の映画だから"不殺"なのかと思いきや、けっこう躊躇なく人間を殺します。
しかも、具体的なプランがあるわけではなく、あまり深く考えず、それでいて強固な意志をもってウッホウッホと人間社会に殴り込みをかけて、なんでもブチ壊していきます。非常にポジティヴなメッセージ性に深く感銘を受けました。これから僕も深く考えず、なんでも壊そうと思います。
猿の惑星』が世相を反映しているとはよく言われることで、元々は原作者のピエール・ブールが日本軍の強制収容所にぶちこまれていた経験を基に、猿に支配される話を書いたそうです。で、映画版第1作は"猿みたいな"ヒッピーが幅をきかせていた時代、『〜征服』は"猿みたいな"黒人が公民権運動を起こしていた時代に作られました。こじつけ理由をつけるのが面倒臭いのでティム・バートン版はパスしますが、今回の『〜創世記』は"猿みたいな"労働者たちがウォール街で「俺たち貧乏。金持ち悪い。むかつく」とデモを行っている時期に公開されたという点で、やはり世相を反映しているといえましょう。ここ10年、特にアメリカでは「USA! USA!」と全体主義傾向がありましたが、そんな価値観が崩れつつあることを象徴しているのではありますまいか。
ちなみに上記の"猿みたいな"というのは、偏見を持った人たちが抱くステレオタイプであり、僕自身はそう考えているわけではないです。日本人もヒッピーも黒人も労働者も大好きです。
とにかくお腹いっぱいになるぐらい猿が出てくるので、猿ファンの方々はきっと満足できるでしょう。