Blues Britannia: Can Blue Men Sing The Whites?

今年5月1日21:00〜22:30にBBC4で放送されたブリティッシュ・ブルースのTVドキュメンタリー番組『Blues Britannia: Can Blue Men Sing The Whites?』を見ました。
90分番組で、以下の人たちがインタビューを受けています。
Keith Richards / Chris Barber / Bill Wyman / Paul Jones / Ian Anderson / Mike Vernon / Pete Brown / Tony McPhee / Dave Kelly / Mick Fleetwood / Jack Bruce / Chris Dreja / Tom McGuiness / John Mayall / Val Wilmer / Phil Ryan / Bob Brunning / Phil May / Dick Taylor / B.B. King / Mick Abrahams
第1部はブリティッシュ・ブルースの原点について。
第二次大戦後の荒廃と再興の時代、規制だらけで若者が抑圧されていた暗い時代(キース・リチャーズが「俺たちゃ戦争に勝ったんじゃなかったのかよ」とこぼします)を背景に、ロンドンの"テムズ・デルタ"でブルースが育まれた話。
1957年にイギリスにはロックンロールの火が燃え上がったけれど、早くも翌58年にはエルヴィスの軍隊入り+リトル・リチャードのキリスト教ボーン・アゲイン+ジェリー・リー・ルイスのロリ近親婚のせいで停滞。その代替品としてブルースが燃え上がったそうです。
当初ブルースはポール・ジョーンズが「ブルースには知識も情報も要らない」、クリス・ドレヤが「ブルースを聴きながら踊りたければ踊ればいい。ファックしたければファックすればいい」、マイク・ヴァーノンが「とにかく一度虫に噛まれたら逃げられない」と語るような、理屈抜きで楽しめる音楽という扱いでした。でも飛びついた観客層はロックンロールのファン層よりも教養のある、ネクタイをして左がかったミドルクラスの白人だったそうで、「秘密サークルのようなものだった」と、サブカル的なものになっていきます。
クリス・バーバーがジャズで成功してからブルースやゴスペルをイギリスに紹介して、シスター・ロゼッタ・サープやマディ・ウォーターズを招聘するなど、ブルースはどこか経済的余裕のある人が扱う音楽みたいな感じだったのですね。
なお1958年、マディが初渡英したとき、アコースティックでなくテレキャスを弾いていたため、"純粋な"ブルース・ファンからブーイングが飛んだそうです。それで2度目に渡英した際にアコースティックを持ってきたら、観客はすっかり電化ブルースに慣れていたため、「アコースティックなんて地味じゃん」とブーイングされたとか。
1964年に訪英したマディがマンチェスター駅ホームで演奏するビデオ・クリップも作られたそうで、その一部を見ることが出来ます。
あとブルースが支持された理由として、マディ・ウォーターズとかハウリン・ウルフとかブルースメンの名前がかっこいいから、というものも挙げられています。また、歌詞が判らないのも魅力だったとか。キースがブルースメンの変な歌い方を真似しますが、あんたの話し方も十分変だと思います。
そんなわけでロンドンのチャイナタウンの機械部品屋の地下でブルースのレコードを売り始めたりして、ブルース文化は広がっていきます。その最大の貢献者はシリル・デイヴィス、そしてアレクシス・コーナーでした。ポール・ジョーンズは「アレクシスはギタリストよりもシンガーよりもcatalyst(触媒)として重要だった」と語っています。
第2部はTHE ROLLING STONESらの成功によるブルースのメインストリーム化について。
1964年11月、TV番組『Ready Steady Go!』で彼らが「Little Red Rooster」を演奏したのが発火点だったと論じています。
そしてTHE ANIMALS、THEM、THE YARDBIRDSらが台頭しますが、そのうちアメリカ黒人のブルースを模倣するのに留まらず、イギリスならではのヒネリを加えるようになっていきます。THE PRETTY THINGSは「Big Boss Man」を3倍速でプレイしたり、THE YARDBIRDSは意識的にSTONESと異なった音楽をやるのだと「The Train Kept A Rollin'」を演ったり、マンフレッド・マンもブルースとメインストリーム・ポップをクロスオーヴァーさせたりしました。
当時はまだレコーディング・エンジニアが白衣を着ていたような時代だったため、フィードバックとかディストーションを修正されたりして大変だったようです。
イギリスの若手ミュージシャン達は研究熱心でもあり、アメリカ黒人ブルースメンが訪英するとバックを務めて、本場のブルースを吸収しています。THE GROUNDHOGSはジョン・リー・フッカーと演奏して一種テレパシーのようなものを感じたそうです。また、ハウリン・ウルフは2小節ぐらいリハして、「いいんじゃないの」とそのまま本番ライヴに及んだそうです。
彼らはまたアメリカの公民権運動にも関心を持っていました。
イギリス全土にブルースが広まったのは、評論家のポール・オリヴァーや写真家のヴァル・ウィルマーの功績も大きいそうです。
こうしてブリティッシュ・ブルースはアメリカへの逆輸入を果たすのでした。
第3部はイギリスの若手ミュージシャン達が自作曲を書くようになったことによる、ブルースとロックの分岐点について。
筆頭に挙げられるのはエリック・クラプトンで、JOHN MAYALL'S BLUESBREAKERSでの『BLUESBREAKERS WITH ERIC CLAPTON』(1966)によって、第1次よりもコアな第2次ブルース・ブームを巻き起こしますが、「ブルースに敬意を払いながら新しいイギリス音楽を創る」ことを主眼とするCREAMを結成します。
クラプトンの後任としてBLUESBREAKERSに加入したピーター・グリーンは脱退後FLEETWOOD MACを結成しますが、初期はピュアなブルース路線でTHE BEATLESやSTONESを凌ぐセールスを記録しながらも、サイケデリアの到来によって異なった方向に進んでいきます。
JETHRO TULLも最初はブルース色が濃かったけれど、よりプログレッシヴな方向を志すイアン・アンダーソンと純ブルースを愛好するミック・エイブラムズに亀裂が生じ、エイブラムズは脱退するのでした。
そうして1960年代が終わり、TEN YEARS AFTERやLED ZEPPELINによってブルースの舞台はスタジアム規模になっていくのでした。おわり。
とても面白く勉強になったので、ぜひDVD化して大勢の人が見れるようになって欲しいです。