鉄のラインバレル

最後まで見ました。途中までの戦いは、実はパラレルワールドからやってきて人類補完計画をたくらむ真の敵を迎え撃つための訓練だった!という急転直下の流れに唖然としましたが、現代アニメにおいてはそういうのはアリなのでしょうか?まるで「今までの受験勉強は、実はボクシングのための訓練だった!」と言われたような、どうも釈然としない思いを引きずりました。
ところでエウレカセブンでもコードギアスでも敵が人類補完計画をたくらんでいましたが、確かに勝手に意識を共有されてしまうのはイヤですよね。以前、変な自称音楽ライターに「所有CDのリストを作って、ライター間でデータベース化しましょうよ!」と提案されたことがあり、嫌なこったよバーカと思ったことがありますが、それと同じようなものでしょうか。その変な自称音楽ライターはどっかに行ってしまいました。たぶんのたれ死にしたと思います。